あなたのノイズ、わたしのミュージック。

自分が何にどう関心を示したかの記録。

2020/8/1 People In The Box "PITB acoustic 2020"(1部・2部) 感想

8/1、SHIBUYA PLEASURE PLEASUREにて行われた、
People In The Boxのワンマン公演"PITB acoustic 2020"の1部及び2部を観に行きました。


3月半ば以来となる、現地でのライヴ観賞でした……。
入場待機中に、スタッフさん達からドリンク代の用意をアナウンスされることにすら懐かしさを感じました。


安全が確保されているわけではない、
疫病の根絶にはまだまだ遠くある現在。
そんな渦中での開催ということで、数々の感染対策が講じられておりました。

今回の会場は小規模なホールであるため、
空調・換気の機構もライヴハウスと呼ばれる形態の会場よりは整ってはいるようでしたが、
それでも公演中に5分程度の換気休憩が設けられていたり。
ガイドラインを遵守したキャパシティの設定がされていたり
(原則ひと席飛ばしで観客を配置してありましたが、
配信カメラのための席の確保などもあり、より少なめに人を入れていたように思われました)。

観客には声を張り上げる行為の禁止、マスク着用、
入場時の消毒や非接触体温計による検温、接触や密集の回避などが要請され、
また運営の方々はフェイスシールドや手袋までを着用された上で、
観客の誘導や物販のやりとりなどに応じておられ、
1部で判明した入退場フローのわずかな不備を2部で解消し。
さらにはフライヤー(公演情報や物販情報について記されたチラシ)を介した感染を避けるためにその設置をせず、
入場列・グッズ販売列のそばに、フライヤーの情報を掲載したpdfを取得するためのQRコードが、
観賞する上での注意書きの張り紙の横に掲示されている……。

これまでにはなかった、これらいくつもの工程。
書き出しているだけでもどんよりくるので、
検討された会場やバンド運営の方々はなお苦心されたことでしょう……。



※以降、公演のネタバレがございます。
公演自体は昨日で終了しておりますが、8/3の22:00まではこの公演(2部)が、有料にて配信されています。
People In The Boxへの関心が高い方は、そちらを観てから本記事を読まれることをお勧めいたします。
キャパ5万(昼公演MCより)とのことですし、ぜひぜひ……。


毎度のことながら、当日書き残していたメモを基にした感想です。
印象か言葉かをとっかかりにして音楽を把握しがちな性質を持つ者の文章でありますため、
あまり仔細・正確なレポートではないことをご了承いただけますと幸いです。



まずは1部・2部通しての感想から。


1部の出だしを聴いていて、
波多野さんが声を響かせきれていない?広いところでの声の響かせ方に対応できていない?
(あくまでも最後にバンドで見た時と比較して、ですが)
といった懸念がチラついたものの、
"忘れる音楽"、"ミネルヴァ"等、それこそ去年のツアーの軸ともなっていた作品である"Tabula Rasa"の楽曲群が、
氏の感覚を徐々に引き戻していったかのようでありました。
おかげでいつの間にやら……いやけっこう早々に(後述のセトリ参照)、
あの聴き馴染んだ伸びやかさに浸ることができていました。

また、1日に2公演をこなしていたことも関係していたのでしょうか。
初期のライヴ(わたし自身は映像でしか観賞したことがありませんが)の時ほど無茶ではない、
しかしあの時のような、精一杯に声を放る、雄々しさを感じる瞬間が度々あり、
わたしにはそれが新鮮にうつりました。

演者の感覚が洗練されていく過程を、リアルタイムに実感する。
これは"スタジオ録音/ライヴテイクの作品を聴く"という行為でもって代替されようのない体験のひとつである、と感じました。


また、Ba. 福井さんとDr. 山口さんのアイディアの豊富さには幾度となく驚かされました。
通常形態においても3人が3人とも存在感を放つバンドではあるのですが、
今回のようなアコースティック……というかミニマルな音色を強いられる公演の場合、
バンドの素地、バンドを構成するメンバーの特性がはっきり現れてくるため、
それを堂々と提供できるバンドでなければそもそも成り立つものではなく……。

などと主観でものを述べてきましたが、
単に意表を突かれるタイミングやその手法の導入があまりにもナチュラルに感じられ、
両者とも土台となる能力がまずしっかりしているのだよなあだとか、
今更思うことでもないようなことを痛感させられてしまった……というだけの話です、たぶん。


ベース3種の使い分け……その内訳までは推し量れませんでしたが(わたしの知識不足と傾聴能力の問題)、
その選択のそれぞれが曲に馴染んでいたように感じられました。
しかし特に、エレクトリックアップライトベースの弓弾きが採用された楽曲が素晴らしかった。
厚く深く鳴る楽器であるばかりに、欲しいところに響きが満ちてゆく……。
"ミネルヴァ"後半部、"装置"、"まなざし"に付加された重みを、きっとわたしは忘れられないでしょう。


ドラムセットにはペダルでキックできるようガムテープで取り付けられた鳥のおもちゃが2体(山口さんのMC曰く、1バス2チキン)。
これを一発ネタとして扱うのではなく複数の楽曲にて、他の打楽器と並列に活用する……本気の遊び心?がさすが。
"ミネルヴァ"Aメロの緊迫感を醸成する重要なパーツとなっていたのが印象的でした。

あと純粋に、ドラムアレンジに目を見張ったのは"町A"のAメロ部分。
化け物みたいになっていた、どういう構成なんだあれは……。


1部・2部の両方で波多野さんが、現在のバンド表現や自身の見つめる世間のありさまについて、
『昨年リリースした"Tabula Rasa"から地続きのモードにある』と仰られておりましたが、
これが的確にこの公演の核を突いていた言葉であったように思われました。

2019年に"Tabula Rasa"を打ち出したバンドとしてふさわしい表現活動の模索、
People In The Boxとしての音楽表現の追求が、はっきりと据えられていた公演であったために、
純粋な観客、眼前に展開される音楽を楽しむ者として、
このひとときを過ごすことができました。


楽器の編成は下記のように……なっていたと思われます。
(視認したかぎりなので、間違っている恐れがございます……有識者の方……。)
以降のレポートにおきましても、以下に示した略称を使用してまいります。

波多野裕文
A.Gt(Martin D-28: エレアコ仕様)
E.Pf(Nord Electro3)
舞台袖にエフェクターボードが視認されたが演奏中の操作はなかったはず

山口大吾
Drs(フルセット?ライドシンバルにはシズラーを装着、"懐胎した犬のブルース"ではタンバリンもセットに)
鳥のおもちゃ(2体、いずれもペダルで踏み音を鳴らす(かわいそう))
ボンゴ
ウインドチャイム

(2020/8/4追記)山口さんがご自身のインスタに、
今回のセッティングをアップされておりました。
10周年サイトの機材紹介ページの写真と見比べてみると、フロアタムがひとつ減っている?

福井健太
ABG(Fender(外観的にはCE60なんたらのシリーズっぽく見える))
E.B(Rob Allen(mb-2だろうか): イケベ楽器グランディベース東京からのレンタル品)
EUB(NS Design(配信でロゴは確認できたもののモデルは不明): 弓弾き用の弓が付属)
足元にエフェクター群があり、"懐胎した犬のブルース"2番Aメロのシンセ風の音色等で使用



1部(14:30-16:00)

以下がセットリストとなります。

1. あの頃      
2. 忘れる音楽     
3. いきている     

4. 2121    
5. 町A     
6. ミネルヴァ    
7. 塔(エンパイアステートメント)     

8. 犬猫芝居     
   
(5分休憩)    
    
9. 季節の子供   
10. 装置    
11. きみは考えを変えた
12. 動物になりたい

13. 風景を一瞬で変える方法     
14. まなざし    
15. 懐胎した犬のブルース      

抽選販売時にチケットが取れ、そこで運を使い果たした気でいましたが、
当たった席を確認してみれば1F5列目の真ん中付近(通路横)……今度こそ使い果たしたか?
1Fは映画館のようにゆるやかに傾斜がついていたために、 遮るもの無しに3人の演奏を観て聴くことができる環境でした。
(ひとつ飛ばしの席配置も関係してはいたのでしょうが)
せっかく良い席であったにもかかわらず、全体をみつめるように意識が持てず、
その時その時で目立つパートをとる人物の動きを注視するような観賞になってしまっていたものと記憶しています……もったいない。


2部では演奏されていなかったり、セットリスト中での役割が変わっていた楽曲について、
表現できる範囲でのレポートを。


あの頃
編成: A.Gt、ABG、Drs

1部の1曲目。

開演SEを止めてからの一瞬ののちに駆け出すギターのストローク
それに対応するかのようにドラムセットのシンバルやタム、さらにはウインドチャイムが差し込まれる。
2人による戯れは、突如現れたベースの和音、この楽曲のイントロによって中断され、
即座に3人ともが水を得た魚のように、曲を奏ではじめた。

落ちサビの"日々が消えるのは こわいから"が妙に際立って聴こえてきたのは、
ヴォーカルのみを聴かせる演出がだとか、続くサビ及び言葉のあてがわれていない歌が伸びやかであったためであるだとか、
奏でられた音楽のみによって意味づけられた印象ではないのかもしれません。
わたしの抱いている危機感に、言葉が浸透する。


犬猫芝居
編成: A.Gt、ABG、Drs・ボンゴ

2番出だし、波多野さんのヴォーカルが低く語りと歌の中間を取っているような箇所にて、
ボンゴのリズムが不在のウワモノの位置へ、そっと華やかさを添える。
そしてその分、クライマックス"でもそれも今夜までさ"の手前に存在する同様の箇所では、
ベースが伴奏されるのみとなり、先程との対照も相まって緊張感が生まれる。

メリハリが特徴的な楽曲であるだけに、その魅せ方が一辺倒にならぬようにと、
配慮がされたアレンジとなっていたように受け取れました。

しかしそれらの箇所を滑らかに聴かせるために最も肝要であるのは、
やはり歌い方の切り替えであるのでしょうが、
そこもまた、無理を感じさせずにあっさりと成し遂げられておりました。
ソロ公演で培われた強靭さに拠るものなのでしょうか。


動物になりたい
編成: A.Gt、E.B、Drs・ボンゴ

リムショットで表現されていた箇所が、ボンゴの高音のほうの太鼓で表現されており、可愛らしい。
しかしクライマックス、"ほおばるビスケット 足りないアルファベット"からは、
山口さんがドラムセットに向き直り、一気にダイナミックな風景を見せてくる。
ベースもまた、それまでの控えめに置くようなプレイングを基調としながら重厚さを増す。

歌とギターで聴かせてくる(聴かせることも可能である)この楽曲の特性が、
リズム隊の丁寧な仕事っぷりを際立たせてもおりました。
3ピースバンドは役割分担の巧みさを魅せてくれる編成でもあり、
個人的にはその引き出しが多いバンドを好きになる傾向があるのですが、
People In The Boxではそこまで多く見られない(というか1曲を通してこう言ったトーンであることが少ない?)、
歌とギター vs リズムセクションの拮抗……かなりベーシックな魅せ方を充分に堪能でき、嬉しい時間でした。


まなざし
編成: A.Gt、EUB(弓弾き)、Drs

2部では1曲目に配置され、空間に生命力で着彩してゆく楽曲となっておりましたが(歌い方の違いだろうか?)、
1部では最終パートの中心に。
オレンジ色の照明で煌々と照らされていて、曲自体の力強さをさらに称えているかのよう。

セットリスト中の役割や演出の印象も強いのですが、
曲中でなされている問いかけをそれらが阻害することはなく。
ただ巡る血のように、必然的にあたたかくある音楽のままに響いていました。

そしてこの曲もベースの弓弾きが良かった、時に厚みを醸成し、時にメロディアスであり……。


懐胎した犬のブルース
編成: E.Pf、ABG、Drs(タンバリンをセットに加える)

2部では大トリ前のムード調整的なポジションにありましたが、
こちらでの役割はエンドロールだったのでしょうか。

いずれにせよ、この楽曲の肯定感、
生まれてからこれまでに経験してきた数々の悲しみを踏み潰すのに固執する、無かったことにしようとするのではなく、
その足は先の地面を踏み締めてゆくためにあるのだと宣言しているかのような、やさしく強くある雰囲気は、
次のときへと向かうための推進力としてはたらいていました。

イントロ部分、あの鼓動のようなバスドラが響く中で波多野さんが、
『本日はありがとうございました。
みなさんと会えて、とても良かった。』
と、目の前に確かに存在している人々へと語りかけておりました。
始まった演奏に聴き入りながらも、わたしはその姿を何度も思い返していました。

わたしも、その場に居合わせた観客も、公演をつくる方々も、演奏をしている3人も、
現在を生きる人間であるという事実が前提として、等しくある。
だから、まずはこの日を健康に迎えることができて、本当に良かった。



2部(18:00-19:45)

以下がセットリストとなります。

1. まなざし      
2. 忘れる音楽     
3. いきている     

4. 2121    
5. 町A     
6. ミネルヴァ    
7. 塔(エンパイアステートメント)     

8. レントゲン     
   
(5分休憩)    
    
9. 季節の子供   
10. 装置    
11. きみは考えを変えた    
12. あのひとのいうことには    

13. 風景を一瞬で変える方法    
14. 懐胎した犬のブルース     
15. かみさま

2部は2F下手側の最後列に。小規模ホールとか紹介してしまったけれど、結構な高さがある!
音響を少し心配していたのですが、この位置でも調和が崩れないよう整えられていたようで完全に杞憂に終わりました。聴きやすかった……。
その上、1Fではあまり注視できなかったライティングの美しさにも見入ることができました。
あとステージ上に配置された光る角砂糖の光もしっかりまばゆく……常に3人の立ち位置を照らし出していたと言えば聞こえは良いか。


こちらは配信がありましたため、他者を意識してディテールを書き連ねる意味は無いような気もします。
ただ、現在の自分が抱いている感情を確定させるために、個人的に印象深かった楽曲のいくつかを。


忘れる音楽
編成: A.Gt、ABG、Drs・ボンゴ

山口さんのドラムの采配が……なんかリズム隊を褒めてしまってばかりいるな……。
軽快さはボンゴに託し、ドラムセットでの演奏は飛翔する歌やギター、
錐揉みするベースが自在であれるための空間を、特に底を形成する役割に徹しており、
全体のバランスを取るアレンジになっていました。
特に最後のサビ前に、その分離のセンスの良さが顕れていたような。

通常の形態ではドラムの躍動感も目立ってくる楽曲(ベースとうまく役割分担しているように聴こえます)であるため、
新鮮だった……という以上に山口さんへの敬意が立ち上ってくる変化でした。


町A
編成: A.Gt、ABG、Drs

これは2部の演奏が非常に良かったです、2部の配信を観ましょう!!!

前述したAメロのドラム以外にも、
コーラスの配分が曲の締め括りをスムーズにすべく効いてくる巧さ(これは今回に限らないかも)といった、
原曲の構成を実演可能なあたりにまで分解する、バンドアレンジ能力の高さがふんだんに、
しかし嫌味を感じさせず出ていた楽曲。

暖色系の照明が照らす中をスモークが吹き上がっていく様は土煙のようで、
言われてみれば(?)もっとフォーキーにもアレンジできそうだなとか、素人レベルでの考えがふっと浮かびましたが、
特定ジャンルの演奏に寄せ切らずにこの編成でのアレンジを組み上げられる力が、
制作時には独創性となって顕れてくるのだろうと、考えを打ち消しながらひとり納得していました。
(思い返してみればあの"Tabula Rasa"から全曲持ってきていたのにもかかわらず、
1曲も原曲以上にはジャジーに傾かなかったような?)


ミネルヴァ
編成: A.Gt、E.B・EUB(弓弾き)、Drs(鳥×2)

アレンジの巧みさで言えばこれが最高でした、上述の"特定ジャンルの演奏に寄せ切らず"云々がまさにって感じで……。

鳥をペダルでひっきりなしに踏みまくり(かわいそう)、
ヴォーカルも特にaの音の押し出しが強くなり、2番ラストでは唸りにも近い咆哮を放つ。
この編成の演奏でこれだけの緊張感を出せるのかと、間奏の展開に入ってもなお目を丸くしていたところに、
アップライトベースの弓弾きの低音が重なり……。
圧し潰されそうになりました。
(これや"装置"の弓弾きの低音、あと"塔"や"2121"で耳を惹いたシズラーのセットされたシンバルの音も、
配信音源ではその魅力を発揮できていなかったように感じられてもどかしく……私の再生環境のせいかもわかりませんが……。)

後半部は弓弾きのみならず、ヴォーカルには強めのリヴァーブがかかり、シンバルと鳥は打ち鳴らされ、
空間的な広がりが豊かに形成されていました。せっかくのホールですからね!


レントゲン
編成: A.Gt、E.B、Drs

反則のやつなので言葉に起こすこともあんまり無い……。

Aメロ間のブレイク?やBメロのギター、強めのエフェクトがかからないで鳴るとこんな綺麗な響きなんだって発見もあれば、
間奏のアレンジや射し込まれるウインドチャイム、締めのハーモニクスのロマンチックさにただただ打ちのめされもして、
そしてこの日のコンディションあっての産物であろうパワーコントロールの精緻でない歌唱、スネア連打やタム回しのパワフルさに懐かしさをも感じ……。
……こういうえげつない反則があったってことだけを残しておきたい……。


装置
編成: E.Pf、EUB(弓弾き)、Drs

弓弾きのアップライトベース、そこに重なる波多野さんのコーラスに始まる。
この数秒間、ここの何倍も広大な会場を幻視しました。圧倒。

1番サビの半ばまで2人で進行し、"生き返すサイクルは"で声だけがすうっと放り出される。
そして次の瞬間から、3ピースでの演奏が生まれてゆく……。
静かでシンプルで、美しいレイヤーの形成を見届けました。

2Fから見下ろすと、照明の効果で水面が照り返しているかのような眺めとなり、それも綺麗だった。


かみさま
編成: A.Gt、E.B、Drs

山口さんがマレット?を使用し、柔らかく壮大なイントロを作り上げてゆく。
この一日の重心を担うのがこの楽曲なのであろうと直感しました。

歌に込められた苦み、"かみさまだけが嘘をつく"と発声したときのニュアンスには、
ひとりの人間の困惑が染み出しており。
しかしそこを芯としてバンドの演奏はじっくりとまとまってゆき、また観客の関心も集まる、
巨大でいびつな人々の心のような音楽が、この会場をたっぷりと満たしてゆく。

時におそろしくも感じられるこれこそが、
わたしが音楽の鳴らされる場に足繁く通っては探し求めていたものなのだと、確信する。



『現実を受け止めながら、粛々と音楽を演奏していきます。』
波多野さんがバンドを代表して宣言されていたこの言葉もまた、1部・2部どちらの公演にもあったものでした。
というか、1部とか2部とかこの公演がとかではなく、
バンドの基本姿勢がそうであるってだけのことなのかもしれませんが。

楽家として生きる自分たちの在り方を、疫病を軸に語るのではない、
People In The Boxのフラットな誠実さに、わたしは心酔しています。
できるだけ、彼等の在り方を脅かさない社会を保っていきたいとすら思う。



あとは雑感。


記事冒頭にも列挙しましたが、
かつては考えられなかったほどのものものしさのうちに、
このイベントは開催されました。

しかしやはり現状では、
こういったイベントの開催/参加には予見不可能なリスクがある。
これは認めなければならない事実なのだと、
この日観客であった自分の心境を思い返すほどに、認識が確かさを増していきます。

ちなみに当時のわたしの心境、「何に気を付けていればこのイベントを無事なものにできるのかぜんぜんわかんね〜〜ほんのり不安」みたいなアレです
これ書かなくてもよかったかもな

わたしの場合、好きな音楽が演奏されている時は、
そこで展開されてゆく様々な出来事、それらへのわたし自身の応答に集中することができました。
しかし、そうなれない方もおそらくいたことでしょう。
そしてこれは誰々がどうあるべきだとか、そういう問題でもない。

ただ"リスクがある"という事実が、いまにあるのみ。


もうひとつ。

今回わたしは(運の良いことに)現地と配信とで同じ公演を、
ほとんど時間差もなく観ることができました。

なんというか、散々擦られた話なのでしょうが、
現地でないと観られないものも、配信でないと観られないものも、
等価にではまだないかもしれないけれど、しかし現状で既にあるんですよね。

今回の配信にもリアルタイムで映像の編集がされるなど、手が加えられてありましたが、
配信として体験の可能性はこれ以上に広がっていて。
しかし、やはり現地でなければ体験できず、 かつてそれを知っていたとしても、現地に行かなければ自らのものとして取り戻せない、
巨大な雰囲気のようなものもあって。

結論だけは行く前からわかりきっていたけれど、共存していけるのがおそらく良い。
となると、公演が開催できる場所は残していかなければならない。

MCによると、今回の企画"PITB acoustic"の開催予定地となっていた会場(補足: 本企画は神戸・名古屋でも公演予定であった)は、
"固有の雰囲気のあるこれらの会場で、People In The Boxのアコースティック公演ができれば"
といった望みを浮かべていた場所でもあったようで。

いくつかの場所が残っていれば良いというものではなく、
"その場所"が無ければできないことがある。
どんな需要が後に生まれるかなんて、いま予測しきれるものではない。

……それを痛感したところで、現状のわたし個人にできることは限られているのも確かではあり。
だからまずこうして"雑感"と前置いた上で、
ライヴの感想記事の片隅に留めておくことにしました。


きっといまは各々が無理なくできることを考え、やっていく時なのでしょうね、粛々と。