あなたのノイズ、わたしのミュージック。

自分が何にどう関心を示したかの記録。

2021/1/15 People In The Box 「<< noise >> was NOT cancelled.」 感想

1/15に渋谷O-EASTで行われた、People In The Box(以下「PITB」と表記)のワンマン公演、
<< noise >> was NOT cancelled.」を観に行きました。



COCOAインストール確認、検温、チケットもぎり等のスポットを点在させ、
人が極力溜まらないように設計された入場工程。
パイプ椅子約350脚からなるいくつかのブロック、
映画館というよりかは体育館を彷彿とさせるその配置。
私の目の前、テトリスのSミノの形を保ったまま公演の終わりまで埋まらなかった4席。
『当公演は、感染防止ガイドラインに基づき……』のアナウンスを乗せ、
絶えずそよそよと、どこか牧歌的に吹きおろす換気の風。

マスクで口元を覆い、声を発さない人々の代わりに。
その箱を構成するあらゆるものが、時世を語りかけてくる。

COVID-19のもたらすリスク……感染経路、病床の逼迫度合い、経営・経済への影響、etc……それぞれについて知見が蓄積され、
エビデンスをもとに危機が語られるようになった昨今。
人々がいま抱えているのは、もはや未知に起因してなどいない、
ある程度わかっているからこその怖さ。


2時間弱ひとところに集まって、公演の場をつくる。
想定される影響はプラスにもマイナスにも、
それぞれ充分すぎる量の裏付けとともに存在しています。
判断の針は、両極の間で目まぐるしく振れていたことでしょう。


一介の観客にすぎないと自覚しつつも。
行くのであれば、2021年の1月に行われるイベントとして見えたものを、
あとに残されるものをなるべく逃さずに焼き付けようと思っていました。
PITBが演者としての責任を果たそうとしているのだから、
私は観客としての自分が果たせる責任を追い求めてみたい。

以下のライヴレポートは、こういった動機のもとに書かれています。



セットリスト

※アンコールなし。

1. さようなら、こんにちは    
2. おいでよ      
3. 懐胎した犬のブルース     

4. 無限会社      
5. ミネルヴァ     
6. 冷血と作法     
7. ストックホルム        

8. She Hates December      
9. 失業クイーン      
10. いきている      
11. 2121     
12. どこでもないところ     
13. 月     

14. 世界陸上     
15. 逆光      
16. 聖者たち      
17. ヨーロッパ        


予定の開演時刻になると客電が落ち、客入れSE(この日はSteve Reich"City Life")が消え、入場SEに切り替わる。
別段意識せずとも、いつも通りの期待が押し寄せてくる。
去年8月や10月に観たライヴの体験から、
彼等がこの時世ならではの特別を仕込まないことは知っていたため。
福井健太さん(Ba.)と山口大吾さん(Drs)が現れ、
少し遅れて波多野裕文さん(Vo./Gt./Syn.)も現れる。
やはり特別な流れではない。

その「いつも通り」は、最初の曲のイントロでわずかに侵食される。
演奏されたのは、セットリストに入ることは珍しい"さようなら、こんにちは"。
波多野さんが爪弾くギターは、メインで使用されている白いテレキャスでも、
主に『Weather Report』までの曲を弾く際に用いられる茶色いジャガーでもなく、
ライヴではこの曲くらいでしか用いられない黒のデュオソニックだった。

PITBからしたらこの選曲へのサプライズ的な意味合いは、
あったとしてもそこまで大きくはなかったかもしれない。
しかし私は、ステージに現れた瞬間にわかるはずの機材の違いにすら気がつかず、
それなのに「いつも通り」を見ている気になっていた。
無意識に「いつも通り」を探していたのだと、そこで気がついた。

枷の存在に気がつきこれを解除してしまえたならば、
次々に飛び込んでくる演奏を阻害するものはもう無い。
私個人の思い込みにすぎないが、この初手は以降の鑑賞をとても楽にしてくれた。



"さようなら、こんにちは"と、次曲"おいでよ"は、
いずれもメリハリの効いた構成が特徴的な楽曲だ。
旋律にも拍にもバランスよく意識が向かう部分と、
音が結集し塊となっては弾ける部分とが往き来する。
O-EASTの高い天井や、もとの収容人数の1/3に制限した観客数も影響したのか、
その塊はいつもより大きく膨潤し、振動していたようにも感じられた。

公演の導入として連続して配置されたこの2曲が、集合への注意を引くことで、
会場中の感覚もまた、公演がつくる空間へ自然に集まってゆく。

平時においても(楽曲や効果はその時々で変わるものの)観客を勢いや力に頼らずして魅了してしまう、
この構成のマジックは、声を挙げられないこの状況下において、とても頼もしかった。



セットリストの構成といった演出の方面のみならず。
演奏もまた最初から自然に誇り高くあり、
コロナ禍の影響による活動のブランクを微塵も感じさせやしなかった。
少々冗長になるかもしれないが、前半の様子を細かに書き出すことを許してほしい。
書き残したくなるほど楽しい演奏を観た!


"懐胎した犬のブルース"の2番Aメロ、要として適切に大きく張られ、飛ばされる声。
昨年12月のソロ公演で感じた歌唱の変化は気のせいではなかったとみえた。
この後もヴォーカルは快調で、公演の終わりまで失速を見せなかった。
フィジカルごと強くなったことの伺える、ヴォーカリストとしての前進が、
今後の表現に活動にもたらす豊かさを、つい夢想してしまう。


"無限会社"。
イントロの印象的な展開は、PITBの推し出せるバンドアンサンブルの異様なバランスを、わかりやすく提示してくれた。
太くつくられた音色のベースがフレーズを保ち、
ぎらつくシンバルと深く鳴る鼓は過不足なく隙を埋める。
このしなやかな屈強さこそが、引き裂くように弾かれるギターの暴虐を白日のもとに晒す。


おそらく初めて鍵盤を用いずに披露された"ミネルヴァ"。
和音の提示を担うのがギターに変わっても、
掻き鳴らす勢いにまかせるような野暮さは持ち合わせていないようだ。
意識的な抑制がひりひりと、観客の耳を焼く。

また、この変化により(特に後半部において)ベースが埋める音域がかなり重要であったことに気付かされた。
8月のアコースティック公演にて、ゆったりと振動を感じさせる弓弾きが採用されたワケにも行き当たる。


この日初めてのジャガーは、"冷血と作法"のどよりとしたベースリフの上で試されるように鳴った。
いつしか音色は歌や旋律に合わさって曲になる。
その呆気なさは巣立つ鳥のようだった。
使い慣れた道具のありかただ。

大別すればふたつに、しかしきっといくらにでも分割可能なこの楽曲にて、
隅々にまで根を張り……または骨をめぐらせ、中身をこぼさずに支えているのはドラムだった。
水飛沫のようにシャープなシンバルの品性。上昇気流を生み出すスネアとタムの地形差。
極め付けは締めの展開、波多野さんがマイクから外れたところで声を上げ……面も上げるとともに、
転がるように走り出した弦楽器たちを見事に回収する連打は、圧巻であった。


前半を総浚いするかのような位置にあったのは"ストックホルム"。
バチ切れた圧力の間奏、大きな音量のギターにはぎりっとノイズがかかり、
かと思いきや、ラスサビ後では深い底にまで張られた響きを垂直に……原曲には用意されていない高さにまで……歌が突き抜けていく。
制御された過剰のわざは、手を替え品を替え大胆に器用に遂行された結果、
当公演の前半どころか楽曲の作られた約10年前からの変化をも決算するものとなっていた。



MCで長めに緊張を弛緩させ、落ち着いた雰囲気で踏み出したクライマックスまでのステップ。
1段目の"She Hates December"、2段目の"失業クイーン"は、
先の"ストックホルム"よりもさらに古い楽曲。
いまではじっくりと乾いた素材としての楽曲から、
継続と向上によって深められた色を抽出し、瑞々しく放っていた。


このステップを登り切る間際に配置された"どこでもないところ"は、
フェードアウトで終わる音源とは対照的に、アウトロが短く切られていた。
そのぴしゃりとした終わりに夢を覚まされたところに、
現実的な親愛の手触りをもつ""が、温かく素直なギターと歌を中心に据え柔らかく降りてくる。

現在の状況は、幻想を活用することでより強い感動を生成してしまえる。
しかしPITBは、照らす対象である音楽を変質させないように演奏を遂行していた。
それゆえに、この並びはわざとらしく鳴らされなかった。


彼らの継続してきた仕事のたしかさが、顕現していた。
ここで観ているPITBの姿もまた、常に究め続けていく過程にあることの裏付けとして、
今後とも取り出していける材料のひとつとなるだろう。
目まぐるしい美しさに感嘆しながら、確信した。



鳴り止まない音を暗示させるタイトルが据えられた公演、
その先入観もなかったとは言い切れないが、
最終ブロックで演奏された4曲は締めに相応しいものでありながら、
しかしこれを以って音楽の体験をセーブさせはしないとの、
継続への意気を強く感じさせてきた。

特に象徴的であったのは、ギターをテレキャスからジャガーへ交換する隙を満たすために、
"聖者たち"ラストの響きから抜き取られ循環させられていた1本のノイズ。
高揚の谷間にまで延びるシュプール
公演が終わった後にも、次のハレの日までの間には生活が満ちている。
そのことを意識的に生きていければと静かに思いながら、軌跡に耳を傾けていた。
そして、この夜への名残惜しさの中で観る"ヨーロッパ"は、特別まばゆく燃えていた。



未だ予断を許さない状況下、規律と自律によって成立した会場で、
彼らは輝く目で演奏に……PITBとしてのライフワークに勤しんでいた。
私はその様をたっぷりと見届け、心を満たし会場を後にした。

演者は、自分たちを観に来てくれる客が存在すると期待して、ステージに立つ。
観客は、自分を心からまるごと揺さぶってくれる、そんな体験を演者がさせてくれると期待して、席に座る。
ライヴは音楽が響く場というだけではなく、「期待」の応酬がなされる場でもある。

それぞれの心に消せない不安があっても。
障壁により、距離の保たれている他人の間でも。
それでも人間はお互いへの期待を抱ける。

このことを実感できる瞬間の連続が、2021年1月にあった。
見えるものが増え、見えたものへの不信感が高まりやすいこのときに、
相補的な期待が不可欠な場の成立を体感できて、本当にありがたく、嬉しく思った。


そしてこの期待感を裏付けられる活動は、なにもライヴのみに限らない。
現在の不安定な日々にもそこかしこで試みられている、
他人同士で実践される生活のすべてが、証左となり得るだろう。

わたしたちは、わたしたちからなる雑多な日々を、
いまも止めるべきではない。