あなたのノイズ、わたしのミュージック。

自分が何にどう関心を示したかの記録。

2019年12月のわたしのミュージック。

自分が何にどう関心を示したかの記録。


Spotifyプレイリスト

ラルク解禁には乗り損ねました、有識者の皆様による無数のラルクプレイリストがPocketに蓄積されてゆく……。

待望のMaison book girl新譜と唐突な小袋成彬新譜のダブルパンチ、を耐えればどうにでもなると思いきやDusterの新譜(19年振り……?)というものが控えていたためにどうにもならなくなりました。
また月頭から次々にタイムラインを流れ行く年間ベストの数々に圧倒され……あまり見ると自分の感覚で選べなくなりそうなので途中からひたすらURLをPocketに放り込み、年明けの楽しみとすることに。
それでもいくらか影響されている節は否めませんが。

Maison book girlの海と宇宙の子供たち、タイトルからしてyume並の大作を予感していたらかなり見通しの良い作品がきて少々唖然。
ただ、収録時間が前作の6割程度となったのにも関わらず"コンパクトな"という印象にはならず。
むしろ見張るほどに遠く遠くが見えていく、広がっていくもの。


このPVのサムネイルみたいにしていたくなる。

小袋成彬のPiercing、楽曲ごとの枠組みを適度に取り払い、また多様なミュージシャンを流動的に導入し、
といったように前作との相違点を羅列したのみでは非常に軽やかな作品であるように見えそうなものですが、
その曖昧な体制の中でより小袋さんの強固さが、また軽やかな雰囲気の中でより喪失の芯が、それぞれ強調されてしまう。
私は私を生きているのだと思いたがってきた聴者ほど脆弱さを晒してしまうかもしれない、指向性のある恐ろしさが潜んだ作品。

Dusterのセルフタイトル作品は歪みが適当に暖かく煩くなく暗く、
自分はいま立ち止まっているのだと錯覚するか自覚をしなおすか、どちらかに陥りそうな音色が続く。
時期もまた良いように作用しているのかもしれませんが、聴き始めてから一週間経っていないのにリピート回数は今年屈指かもしれない。

あとめちゃくちゃに今更なのですがアメフト新譜が爆発的に効いてきました、
過去作から一気に聴き返してみてようやく今作の広がり方の異様さに気が付く己の鈍さ……。

9-11月のまとめを今月になってから書いていたのでそこからの輸入?もちらほら、
The Electric PrunesからHood(You're Worth The Whole Worldのほう)までは先月のNAOTO氏フェイバリットプレイリストからそのまま持ってきてますね……
一応どれもアルバム通して聴いたのですが、先のプレイリストで選曲されていたのが結局一番良かった、血肉となった人の血肉なのだから当然といえば当然か……。
特にHoodのCold Houseには延々と囚われました。特にYou're Worth The Whole Worldは一曲のうちで音色・歌詞・エディットのすべてで分裂と統合がそれぞれなされていて中毒性がある。

そう、囚われたように聴いたり、思い出したりすることの多い月でした、
前月と真逆の没頭をしてしまって多分これはあまり前向きではない、現実からの逃避的行動であってあんまりよくないのかなと思いつつ、逃げる先がないよりは良いのかしらと
前述のHood以外に強烈であったのはムーンライダース9月の海はクラゲの海でしょうか、他者を意識する必要が発生した矢先に耳にしてしまった、そればかりに?

先月かその前あたりに、"波多野裕文の作ったトラックをレコードで聴けるから"といった邪な動機で注文したPlastic Tree有村竜太朗ソロ2作品のLP盤も届きました。
旧譜ですがそもそもCDで持っておらず配信もしていないと思い込んでいた(届いてから色々調べていくうちにSpotifyにはあったことを知った)ので初めて聴いたのですが、
艶はあるが媚のない声質でいるために、冷えた歪みが重なるバンドアレンジが被さっても浮かびも沈みもすることなく立っていられる強さにまず驚きました。
そして、制作時のゲスト的メンバーの役割がまた適切でありました、というかどうやらかなり自由に任された結果であるようなので、任せた側の勇気も任された側の勇気もなかなかだなあと驚嘆してしまった……。
THE NOVEMBERS小林さんのとびきり鋭利なギターも、People In The Box波多野さんの着想力と構成力の溢れるトラックメイクも、NARASAKIさんが手がけたアコースティックアレンジの豊かな音像も……。


まじでお願いします。

タイムラインに流れてきたツイートでEl Paraiso Recordsというレーベルを知りました。
Causa Suiというサイケバンドのメンバーによって運営されており、当初は彼等の音源リリースのためのレーベルであったよう。
公式が作っていたふたつのプレイリスト、振り幅が端的に現れていて良いです。
プレイリストのチョイスが良いのか、取り扱う音源が良いのかは今後追いかけていくうちにわかってくるかしら

Landingという検索泣かせな名前のバンドがドリーミーさも有しており好みでした。

https://elparaisorecords.com/artists/landing


以下はプレイリストに含みきれなかった要素について。

Amazon.co.jp: Maison book girl 特設サイト: ミュージック

→ライヴが近いのでとりあえず特番のEPISODE 01を観ましょう、話はそれからだ

→画質が悪すぎて私にしか判別できないけれど、15歳くらいの私がいます、懐かしいなあ


(ほぼ)全曲解禁記念: "もう時間は戻らない"

group_inouがアルバム・ミニアルバム作品のサブスク配信を解禁していため、プレイリストを作成してみました。
同日にinou名義の楽曲提供予定が発表されたていたし、(行けなかったけど)今年はライヴもやっていたし、活休中とはいったい……。

多分活動中に通しで聴いていた作品はアルバムのfoods/System KitchenとDAY、シングルのMONKEY/JUDGE、HALF、MANSIONあたりだったはずなので、
思い入れよりは現在の趣味が反映されたものになっていそうです。口当たりの良さそうなあたり
改めてfoodsからMAPまで一気に聴き直してみると、ESCORTの時点で自分達の特性を把握しコンパクトにまとめるのには成功していて、
以降は心理描写や音色の重みをひたすら研いでいく方面に進んでいったように受け取れました。

imaiさんとチョイスがまるで被らなくてウケました。


そのほか、ノイズまみれの言及の数々は下記にて。

れみどり(@osouonna)/2019年12月 - Twilog


そらの孔分室: 音楽の書棚

読み応えのあった音楽関連のインタビューとかレビューとかについて勝手に読書感想文をつける試み。
何がわかるわけでもないので記事載せませんでしたが、lute破産のニュースには驚きました。知財の管理どうなるんだろう……。

渡辺志保 ミドルクラス(中流階級)アーティストの収益構造を語る

miyearnzzlabo.com

bayfmのラジオ番組で渡辺志保さんという音楽ライターの方が発言されていた内容の書き起こし記事。
話の中では、私のような一般リスナーには見ることのできない、けど気になるサブスク配信サービスの構造にも触れられています。

あとはアーティストがいろんなディストリビューションのサービスっていうものがあるんですよね。あの日本でもTuneCoreとかが有名ですけども。そういった会社に自分の楽曲を預けて、それでいろんなストリーミングのサービスに配信をしてもらう。
で、面白いのがそこに「スプリット」とか「ステム」と呼ばれるようなサービスがあるんですけども。「この人がマネージャーなのでこの人に自動的に10%払うようにしてください」とか「この人がプロデューサーなので、この人には20%支払うようにしてください」っていうのを自分で、そのメールアドレスさえあれば登録して。自分の好きなように作品に関わってくれた人にお金の分配ができるわけなんですよ。

これ日本でもこうなってるんですかね。
アーティストだけじゃなくて運営側というか、芸術活動を直接サポートする人々にもお金が渡っている状態であれば、結果的にアーティストが持続的に活動できていく可能性が高まるだろうから、
記事で主に取り上げられているようなインディペンデントの体制以外においても拡大のしようがある、良い仕組みだなと思いました。

ただかなり近い時期にサブスク配信サービスのお金の分配についてThe Horrorsのメンバーが苦言を呈していたのも目にしました、
活動の規模感の大きく違う2者なのでどちらの状況も真ではあるのかもしれませんが。
やはり透明性がいまいちなんだよなあ……。

Sparklehorseのアルバムについて語る。破滅のピュアネスとかき鳴らされるノスタルジー。マーク・リンカスの言葉と共に。

trees-sakebu.net

今年前半にFenneszを掘り下げていたとき、Sparklehorseとの共作においてFenneszがギタリストとして映えていたのが素敵で、
この拮抗した存在感を示しているSparklehorseが気になったものの中心人物のMark Linkousの自殺により活動が止まっている、との情報を引き当ててしまいなんとなくそこから追求の手を引いてしまっていたのですが、
タイムラインに流れてきた各アルバムの相関図のわかりやすさに惹かれて記事を開いてみたらば、Mark氏自身とつくられた音楽それぞれの変遷を照らし合わせた丁寧な解説が展開されておりましたため、こちらを頼りにようやくちゃんと聴き始めることができました。
Dreamt For Light Years In the Belly of a Mountainが非常に好きです。

ただこの出来事により自分にとって作り手の思考、起きた出来事といった作品外のところをはしる文脈が、音楽を享受する思考に多大な影響を及ぼしていて、それは常々把握しておかないとまずいなと、
幾度目かわからない反省の感情も発生してきました……適度に気を付けていければ多分それで良いのだろうけれど。

目で感じる音空間(5)ハンマースホイ「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」

www.nikkei.com

わたしは、弾いているのではなく、ふと、弾くのをやめた、あるいは、ただ楽器を前に音・音楽を想像している、音のない状態を聴いている女性をみる。
それも、すぐそばでなく、部屋ひとつ隔てた、距離のあるあいだに、何かしら微かな音があるかもしれない、いや、いまこのときにはしていないが、いまにもあるかも、おこるか、でもいまはまだ刹那、乱されない音のなさが保たれている。

ハンマースホイの絵を表現するこの描写があまりにも見事だったのと、絵画ばかりか音そのものを用いてもなお知覚させるのが難しい無音・微音といった音の不思議に囚われかけたのと、それぞれ別種の慄きに見舞われた記事でした。
日経のこの連載、クレーの赤のフーガの回も良かったです。音をイメージして視覚を解釈することもまた可能であるらしい。

アーティストの音楽履歴書 第11回 長谷川白紙のルーツをたどる

natalie.mu

"エレクトロニカ おすすめ"の検索結果なんか恐ろしく既視感があり、きっと同じものを見出してきたはずなのに……みたいな無益な悔しがりがきっと読者各々のタイミングで発動するかと思われますが……(余計なお世話)、
知覚と好奇心の鋭さをエンジンに貪欲な吸収と慎重な解析のサイクルをぶん回してきたことが読み取れる資料。


物理本(こんな呼び方が許されて良いのだろうか)のほうも今月は音楽関連のものを多めに入手しました、どうせ何かまとまった思想や物語を読み込めるほどの集中力も起きないだろうし……。
とりあえず何聴きたいか思いつかなくなったらECMカタログを捲ってみることにしています。
Vaporwaveは音楽自体に興味があるかとなるとそこまでなのだけど、こうやって数年分の変遷がまとまった書籍として残る機会が今後あるとも思えない(今回のECMカタログみたいに増補改訂版が出るかすら怪しい)、またそういう危機感のあるときでなければ延々と買わなくなりそうなのでひとまず確保しました。読むのかしら


ライヴに行った日の感想

行ったライヴ

※複数組出演の場合は印象深かったものを掲載。

感想の類は以下。

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2019/12/04 "Punctum" ナツノムジナ企画、彼等の敬愛するPeople In The Boxとの2マン。 . ナツノムジナを初めて観たTemporary Reality Numbersレコ発企画のときに思っていた、非常に客席と近い場所で鳴っているはずなのに音の感触が圧倒的に広く、もっと大きなハコで観たいし、演るべきバンドだよなあだとか、 何を思って活動しているのか伝えようとする姿勢のMCだったり、音源には音源のポリシーが通っていたりといったいくつかのポイントがPeopleの誠実さとリンクしそうであると感じたためにいつか競演してほしいなあだとかの、 諸々の個人的な願望が一気に叶ってしまい、めちゃくちゃ驚きながらもこの日を待っていました。 . 今年のラストライヴとなったPeople In The Box。 思えば今年は今回除くと3回しか観られていないので、そしてそのどれもが高密度の感動を齎すものであったため、 ラストだと認識してもなんとなく実感が沸かなかった……来年早々に観られる予定(だった)というのもあるかもですが。 . 運良く最前、波多野さん寄りの真ん中付近が空いており、初めて何の雑味のない状態で観ることができたPeople In The Boxのライヴ。 ほとんど全部見えているはずなのに、曲も知っているはずなのに、刻一刻と切り替わる展開に自分の頭が対応しきれなくなっていくのがたまらなかった……。 ヴォリュームペダルに波多野さんがの脚が掛かる。 くるぞ、と分かっているのにもかかわらず、踏み込まれたその瞬間いとも簡単にその待機姿勢はのみこまれる、弁が開いた途端噴き出される流体かのごときギターの迸りに。 忘れる音楽やマルタといったリズムにフックのある楽曲ではそれが為されるごとにダイゴさんの方へ向き直ってしまう、手元までは見えないものの滑らかに適切な音を射抜いていることがわかる、 その的確な動きが機械的な醒めを持たないものであることもまた。 あるときは波多野さんと旋律の、またあるときはダイゴさんとリズムの、役割交換を器用にこなしていく福井さんが、その際それぞれの相手をよくよく見ていることに気がついてしまう。 Peopleの音源には入り込んでこない、ライヴに特有のスリリングさは、ステージの真ん中奥にいる彼によって治められているものであるのかもしれない。 . それでもこの日1番呆然としたのは、上記のような変化を(比較的)持たない構成の楽曲である2121。 あの切実に神々しいままが突き通される5-6分間、どうしてそんなことが可能だったのか、 距離や時間をこの日あんなにも近くに、そしていまこんなにも遠くに、置き変えては考えてみるものの答えが見つからない。 . Peopleが圧巻のライヴを繰り広げたその後、不可避的に高まった期待に満ちた雰囲気をナツノムジナがざっと塗り替える。 音が大きい。鳴る楽器と拮抗しているかのように身体を放ったり、収めたりを繰り返しながら演奏をする楽器メンバー。 そのなか、ステージ中心から少しズレた位置に据えられた椅子に腰掛け、ギターを差しながら声を遠くに、 ここが重心であることを意識させながら飛ばしていく粟國さん。 すべてが、地を踏みしめて立つ若者の姿として映り込む。 自らの選択を信じてきた者達が得られる貫禄を示しながらも、各自の内には枯れない、淼々たる感性のあることが伝わってきました。 WWWを越え、もっともっと大きなところで鳴ってほしいと、嬉しさのあまりにまたそう思ってしまいました。 . 事前に公開された対談記事、 それと当日の粟國さんのMC及びその後のナツノムジナ自身が明確に示された演奏に、それらに引っ張られているフシもありますが、 People In The Boxからナツノムジナへと、音楽そのものだけでなく音楽家としての姿勢が継承されていく様を目にできて、 当初の楽しみを大きく上回る感慨に満ちた状態で会場を後にしました。 常に変化をし続け自らの芯を見つめる目を研ぎ澄ましていくPeople In The Boxのありかたはあまりにも強い、 その強さ故に誰しもに通じていくものではない(正しいと思う人はそれなりにいるのだろうが、自らの行動に起こすことが難しい、私もどうしていいのかいまだにわからない)性質であるはずなので、 たしかに継がれたケースをひとつ知ることが出来て、ほっとしたのでした。 安心するばかりではなくて、私も私の人生で示していかなければ、と気を引き締めさせられもしましたが……。 . 企画が発表された際にこの聞き慣れない"プンクトゥム"という語をググったところ、『一般的な概念の体系を揺さぶり、それを破壊しにやってくるものでコード化不可能な細部を発見してしまうような経験である……(中略)……「愛する」の次元に属する』と解説されているページを見つけ、 本当にこの意味で宛てられたのかどうかを確かめる前にいたく納得してしまって、以来勝手に今年最高の企画タイトルだと思い込んでます。 こんな形で愛情表現ができるだなんて、同業者ずるい!(ずるくない) #peopleinthebox #ナツノムジナ

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この日は本当に良いものをみた、多分みたかったものをことごとくみることができた、こんな喜びを享受できて良かったのかな?っていまだに問い返せるほどに……誰に?
それぞれがさらに新しさを追求したその先で形が変わっていったとしても、この日呈した軸がぶれないでいる限りまた共に音楽ができていけそうなふた組だったため、今後また展開があれば良いなと、淡く期待を抱いています。

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2019/12/6 波多野裕文・猪狩翔一 双方、ギター1本による弾き語り形態をとって臨んでいたツーマンライヴ。 . 先攻は猪狩さん。 この日の告知を見るまで猪狩さんがソロ活動をしていることを知らなかったのですが、 tacicaで観たときその無理のない広大さで鳴らされた歌声に打たれたこと、 その記憶ばかりを裏付けとして、この日は絶対に良い歌が聴けるはずだ!と勝手にハードルを上げまくっていました。 結果的にそのハードルは耐性としてうまく私に作用していたと思います、 ギター1本、シンプルな楽曲構成においても(だからこそ?)、根幹から揺らしてくる強い歌声。 . この日、ソロ形態においてはtacicaの楽曲を演奏せず音源化されていないソロ楽曲及びカヴァー楽曲のみが披露されたとのことでした。 そのため、どの曲がこうだった……と具体的に示しづらくもどかしいのですが、 1曲、これはお子さんに宛てたのだろうかとつい邪推してしまったほど(その推測に自分のなかに湧いてくる感情を逃していたのかもしれません、どちらにせよごめんなさい)、あたたかく大きな手が背中を支えながらゆっくり押してくるかのようなイメージの降りてくる楽曲がありました。 初めて聴いている、次にくる歌詞もわからない状態で聴いている者にも、このような安心感を与える音楽を具現できる能力、 音楽家としての活動ばかりに視界を絞ることではきっと身に付かないであろうそれを持っている、貴重な方ですね。 . 後攻は波多野さん。 猪狩さんを聴いたことの影響が、観客としての私には確実に、演奏者である波多野さんにももしかしたら顕れていたのか、 いつもその伸び方の自由さにばかり惹きつけられていたスキャットやハミングの展開を、 この日はその始点と終点のあることを意識できた、それが非常に新鮮な体験でした。 人間が跳躍の動作を行うためには、踏み切るための大地が、着地するための大地があるという、あたりまえがすぎることを再確認し、 そのイメージを眼前の音楽へ投影する、終始そのような試行が頭のなかで繰り返されていました。 . People楽曲のみならずソロ楽曲の中からも、メロディアスなものが選られていたような印象を受けるセットリストでした。 雨の降る庭冒頭のギターフレーズや遠ざかる列車のシンセソロを口ずさんでいたり、本編最初の未発表曲("5月の空は海の色")の間奏にスキャットが満ちていたりといったような、 メロディとして活用する領域の拡張がされていたこともまたその印象に寄与していたのかもしれません(割と他の公演でもやってることではあるので、やはりセトリと相互に作用して立ち上った印象であるようには思いますが)。 また、非常にギターのメリハリがあり、月や本編最後の未音源曲("おくりもの")に良く映えていました。 アンコール楽曲(後述)に向けた準備が効いていたのではないかと、終演後に思い返しながら推測をしてしまいましたが、真偽の程ははたして(ご本人が会場にいるのだから訊けばいいのに……)。 月→懐胎した犬のブルースへの繋ぎの何気ないように見せる繋ぎ(月で最後に鳴らしたギターを反復しながらカポタストを外し、懐胎した犬のブルースのイントロへ)も見事でした。 . アンコールではtacicaの楽曲、オニヤンマをセッション。 猪狩さんが楽曲の骨組みとなるメロディとリズムギターを確実に鳴らし、 波多野さんが下ハモと彩るギターフレーズを担当してx軸y軸z軸それぞれへの広がりをつけていく、 それぞれの味が出る役割配分であって素晴らしかったです。 オニヤンマは波多野さんの好きな楽曲であったがために、この日合わせる運びとなったとのこと。 終演後歌詞を見ながら聴いてみて、なんとなく腑に落ちるものがありました。 "解らない事 言えるだけ ただの命" . ほぼ同時期に本格的なスタートダッシュを切ったPeople In The Boxとtacica、それがもう10年以上前のことだという事実……もうそんなになるのか……って感じですが、 いまだ駆け続けている途中であるところの現在、 ライバル的感触は記憶に残したまま、各々の平坦ではない道を各々のやり方で乗り越えてきたこれまでを認め合うニュアンスが、この2者間にはあったように見受けられました。 音楽のみならず、私がこのままただ生活をしているだけでは恐らく得られないであろう、 円熟によってのみ齎される穏やかな人間関係までもをお裾分け頂いてしまった、恐縮ながらも贅沢な日でした。 終演後、舞台に残されたギターが、お二人のそのような雰囲気を継承したままその場に佇んでいるように見えて、しばらくみつめてしまった。 #peopleinthebox #波多野裕文 #tacica #猪狩翔一

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2019/12/10 波多野裕文・奇妙礼太郎 東京では2019年ラストとなった波多野さんを観に。 . 入場すると、小さな机の上に小さな鍵盤が。 見慣れないものだったため礼太郎さんが先に演奏するのだろうか?と訝しんでいたところ、ステージに現れたのは波多野さん。 鍵盤楽器が持ち込まれた波多野ソロ公演を観るのは2016年冬以来のことなので、何が起こるのか予想もつかなくてわくわくとしました。 (そのときがソロ公演初参戦で、その次に観たのはだいぶあとのことなので、近年のエレアコ一本でのスタイルがベーシックな姿であったのか、改めて問われると私にはわからないところではありますが) . 鍵盤の正体は小さなシンセ(reface CP)で、エレピの音色を用いた伴奏にあてられていました。 先述の、前に観た波多野ソロでは自身の声を音色に取り入れて多重コーラスっぽくしていて(うまく説明できない)、少し意表を突く使い方をしていたような。 アーティストたちと、青空を許すの2曲を披露されたあとで、緊張したと少し苦笑いで仰っていたところをみると、 まだまだ魅せ方を摸索しているさなかであるのでしょうか。 鍵盤の音の丸さで声の醒めた感じが引き立つために、アーティストたちの厳しい詞がより映えて聴こえてくる、 といった具合に、もはや既に変容が始まっているようではありましたが、今後どのような形でソロ公演に組み込まれていくのか。 ダイゴさんや福井さんによって音域が補強されるPeopleのライヴにおける鍵盤のあり方とも、また違ったものとなるでしょうから、期待が高まります。 . 他の楽曲はいつものように、エレアコによる弾き語り。でもかなりレアなセットリストだったような? 月Aメロの合間で繰り返されるコーラスをふわりと展開させたり、 未発表曲("おくりもの")の英語詞を一句ずつ丁寧に発声されていたり、 軽やかさばかりを印象に残さない、けれど繊細な歌のアプローチが多く、 この数日前の440でのソロ公演を咀嚼されたうえでの変化がなされていたような気がしました。 あと気になったところ、同じ夢をみるのラスサビで"どうしてぼくらは同じ夢を"と1番のフレーズが追加されていたのは、何かしらの意図があったのだろうか……? 関東と関西のそれぞれで行われるソロワンマンでじっくりと観て確認したいことは募るばかり、年明けが楽しみ……! . 奇妙礼太郎さん、ステージに現れたその瞬間から堂々とへらへらしていらしたため、肩の力を抜いて観られそうだと思っていたら、 そのテンションを保ったまま楽曲の世界にスライドしていかれて、 観入ったのちに困惑がやってくる、という稀有な体験をすることに……それも一曲ごとに。 歌のある時間とそうでない時間が、別々の世界にはないということを忘れさせるのではなく、それを非常に良く活かしきれる歌手。 日常の風景に少しだけロマンチックな色味のフィルタを重ねただけの普通の人のInstagramのような(このアカウントもそうですが)、 嘘に変えてしまわない力加減の魔法を歌でかけていく、その様がとても心地良かったです。 . このフラットな人情味はどこからくるのだろう?って演奏やMCの間、ずっと不思議でおりました、 あの艷やかに哀愁を湛えたようでいる、大阪の人にまま見られる雰囲気(超主観)のあったこと、それは強く効いていそうだけれども、きっとそれだけではない……。 会場で購入した最新アルバムを、後日ブックレットを読みながら聴いていて、 この日披露していたうちの少なくとも3割程度の楽曲は他の方が作られた楽曲であったことを知り、 アルバム作品をつくる段階で一度客観視をし、楽曲を自分のものにしていく工程は踏んでいたのではないか、みたいな推測もまたしましたが、 いやきっとまだ何か見出せていない要素がある……。 今回気になったけれど音源化されていなかった楽曲("ことばのうた")を求めるためにも、 しばらくの後にまたライヴへと足を運んでみたく思います。 . La.mamaの季節限定ドリンク、寒い日だったので染み入りました……家出るまではフロート飲む気まんまんだったのに寒さには敵わなかった、 寄る年波にはなんとやら。 #波多野裕文 #peopleinthebox #奇妙礼太郎

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急かされる流れを生み出してしまったのは申し訳なかったものの、音源化されたら嬉しいなとやはり思う、私はある羅列の中から何かを見出せる可能性のある、ああいった言葉に弱いようです……。

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2019/12/18 ORANGE RANGE 約2年前の武道館公演以来。 その武道館公演で、広い会場に気圧されない各メンバーのあり方、特にパフォーマンスのバランスを取りに行くよりも好きな音でギターを弾くことを選んでいるかのようだったNAOTOさんに圧倒され、 また去年リリースのELEVEN PIECEがかなり良かったためそちらのツアーに行きたかったのですが、ぼんやりしていたら東京公演が完売してしまっており……。 近いうちにホールツアーがあったら今度は逃さないぞと、密かに目論んでいました。 . 今回はアルバム作品のリリースツアーというわけでは無く、 一応ツアータイトルの"What a DE! What a Land!"が歌詞に組み込まれた新曲"Enjoy!"の配信リリースはあったのですが、 逆に言えばセットリスト上のノルマとなり得そうだったのはそれくらいで、本当に何が展開されるのか想像がつかず。 蓋を開けてみれば、20曲中バラード楽曲は2曲しか組み込まれておらず、 かつてJ-POPの市場を席巻したことなどもう記憶にないのではないかと思いたくなるくらいに元気いっぱいやりたい放題なセトリ。メンバーも最早30代半ばだというのに……。 しかし単に勢いのある楽曲で盛り上げるばかりではなく、 バラエティに富む楽曲群(ミクスチャーもダブもインダストリアルも平然と組み込まれていく……)を次々に提示していく巧みなライヴでした。 この"提示"という単語でうまく言い当てられていると良いのですが、 観客のテンションを置いていかないようにする配慮が為されている、 音楽的なところに頭を巡らせなくてもそのとき鳴っている音楽を楽しめるように、どんなタイプの楽曲も振る舞ってしまう。 また、活動期間が15年を超えていることから初めて観るひとがいるであろうと想定のもとノリ方の解説をしたり、 その土地の若者達とのコラボによる演奏(今回は吹奏楽とダンスでした)をする時間を設けたり、 観客の体力面をときに呼びかけで直接的に、ときに長くゆるく取られたMCの時間で間接的に(これはメンバーの体力調整も兼ねているのかもしれませんが笑)気遣うなど、 自分達を含め、この時間この場に集まった全員を楽しませるという気概を節々で感じました。 ライヴを構築する技量がとんでもない……! . かねてから思っていたことではあったのですが、このライヴ以降なおさらにORANGE RANGEは特異なバンドであると思うようになりました。 作品の制作時には主にNAOTOさんが指揮をとってORANGE RANGEだからこそできることのバランスを取りつつも、その時々で彼自身が寄せる関心をつぶさに反映させた、異様さを残したままのポップスを練り上げる。 ライヴ時には片手にマイクのみの装備で前に出られるヴォーカルの3人が代わる代わるに観客へのコミュニケートを試みる(今回の本編最後ではHIROKIさんが客席側へ降りてきて、1階2階のどちらからでも見える位置を探り当てそこで最後のサビを歌い切るといった一幕も)、 またベーシストYOHさんは時期によって異なるサポートドラマーと拮抗し、毎度強固な土台を作り上げる。 といった具合に、活動の場面によって役割の重心が大きく変わるバンドであり続けていくうちにそれぞれの特性が円熟し、 その結果、どんな音楽が発動しても違和感がなくその不思議こそが絶対に楽しい!と観客に思わせてしまう、無敵さで満ちた空間を作り出せるようになったのであろうなあと推測しています。 . ここまでこのバンドの巧みさについてばかり述べてきておいてアレなのですが、 実際公演中ずっと惹かれていたのはNAOTOさんの、勝手に鳴らしていいところではとことん勝手に鳴らしまくるギターで……そもそもギターの音がやたらでかかった疑惑もありますが笑 セプテンバーや白血球赤血球では随所でサイケ的なニュアンスをかましてきたり、花ではなんとなく80年代ニューオーダーを彷彿とさせる音色を見せてきたり、かと思ったら新曲Enjoy!では(若干太めに歪んでいる気はしなくもないものの)シンプルにJ-PUNK的なコード弾きをしてきたり。 あとアスタリスクはやたら音色の切り替えが激しく大変そうでした、自分で作っているのに……。 Peopleでは波多野さんに、ノベンバではケンゴさんに見入ってしまうあたりからしてなのですが、私はワガママにギターを演奏する人が好きすぎていますね……。 . 今回取れた席は2階後方で、だからこそ楽しませる力の強さをひしひしと感じることが出来たのでしょうが、やはりもっと近いところで体感したい、 あと、アンコール後ひとり舞台に残ったYAMATOさんが『これからも色んなとこにライヴしに行くから、もしライヴ行きたいなと思った時に近くでやってたら観にきてください』とおっしゃられていたことも頭に残っていて、 気軽に観に行けるようになればなあ、と思いファンクラブに入ってみました……ら直後にライヴハウスツアーが発表されてびっくり。 東京エリアの最小キャパ、250人だけど取れるのかしら……楽しみ。 #orangerange

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後日ファイナル公演を配信で観ていたのですが、ここ成り立つのが本当に訳がわからない。
客席が緊張しきっているならまだわかるがそうではないからなおのこと。

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2019/12/21 "cremation" colormal主催によるライヴ企画、対バンは笹川真生さん。 東京での企画ってだけでもありがとうございますなのに、こんな絶対に観たくなる組み合わせでなんて……! . 笹川真生さん、半年前に観たときは数曲しか知らない状態でいたために、 何もかもが新しい情報として飛び込んできて、捉えきれないままに圧された、 それを踏まえての今回はその時に購入した作品や新譜をいくらか聴き込んで臨むからきっと大丈夫、そんな気でいました。 ……半年という期間は長いのですね、再びどころか、前回以上に圧倒されてしまいました。 (楽曲を知ったことにより、私自身の感覚がより聴けるよう研がれたのかもしれませんが) . 作品を作り上げたときの笹川真生をいま一度笹川さん自身に憑依させ、もろとも突き崩していく、 私がいま観ているのはそういったサイクルであるのかもしれない、 パフォーマンスを観ているうちに、漠然とそのようなイメージが頭の中に構築されていきました。 特にその突き崩し方に特色があるような気がします。 その破壊は他者に当たり散らすためのそれではもちろん無く、 内に向いてはいるものの、限りある自分を消してしまうために発動されるそれでもまた無い、 近いものを無理やり見出すならアポトーシスでしょうか、 能動的でありながら闇雲ではなく、進むために壊さなければならないかつての自身の一部を的確に撃ち抜いてゆく。 それは作品世界ともまた別の感触をしている、よりリアリティをもって感じられる衝動でした。 . 演奏面、おそらく全曲?同期音源が入っており、 ギターのフレーズもリズムを取る目的の強いものはそちらで流れていることが多く、 (特に新譜で見られたような)繊細な構築の再現がなされていました。 しかしただ宅録を再現するようなライヴではなく、ベースとドラムにサポートメンバーを入れることでうまれた立体感が、 笹川さんの存在とその同期音源とを結びつけるように効いていたような。 特にドラムの方、ダイナミックな動きをしているのに非常に器用な捌き方をしていて、幾度も視線を奪われた……。 そして前述の憑依と破壊のイメージに直結する笹川さんの仕草や歌唱、咆哮する歪んだギター。 官能と飽食、Maison、ねぇママ、あたらしいからだにおいてこの編成の能力が限りなく発揮されていたように感じられました(多いな)。 あとメチルオレンジ、あれは何を目印に合わせていたんだ……本当に魔法のように楽曲が始まって慄いた……。 . colormal。 夢みる季節のイントロが流れる中メンバーが入場し、そのまま演奏に……という始まり方はズルすぎますね……。 ようやくこの楽曲をライヴで体感できた喜びも相まって、もう最初から楽しかった、 いやずっと楽しかった!なんなんだcolormal . 終演後にアップされていたセトリを確認し驚いたのは、merkmal収録楽曲は全体の半分程度であったこと。 塔・ドライフラワーはライヴの特典、シアンブルーは通販の特典でそれぞれ手に入れているものの、merkmalとそれら以外には音源を所持していない、 にも関わらず、ライヴでしか耳にしてこなかった楽曲も始まってすぐにあの曲だ、と判定できる……。 月1とかで観てるならまだしも、まだ4回しか観ていないのに(しかも前回から半年近く間が空いているというのに)! なかば恐ろしい気分にもさせられつつ、イエナガさん楽曲の特異なキャッチーさを再認したのでした。 . サポートメンバーは前回観たときと同編成。 前回はベースの方の暴れ馬っぷりに引き摺られて"元気なバンドになったなあ"といった感想を抱いたのですが、今回は各々が活き活きとしていたように見えました。 また、それがメンバー同士のコンタクト時にお互いへと伝播しなお活性化を促す、そのような良い連鎖が高頻度に起きていて、 リアルタイムでバンド全体の力が向上していく様を観察できてしまいました、めっちゃ贅沢……。 また、さまようの始まり方(特にリードギターのあり方)や、シアンブルーの随所に、 〇〇的だとか何とか具体例を挙げる過程をすっ飛ばし、単なる共感をもって証明としたくなってしまうタイプの好みを見出せました。 楽しさで頭がまっさらになってしまった。 . 既に、ここまでの感想も客観視できているとは言い難いものになっているでしょうが、更に個人的な印象の話をしてしまうと、 colormalが楽曲で提示してくるもの、音色や展開だけでなく描写するものごとに至るまでのあれこれは、 私がこれまでたくさんのバンドに対し感じてきた憧れや羨ましさ、たぶん"夢"のひとことに統合できるであろうそれらが適度な健全さをもって、そして卓越したセンスによって具現化されたものとして映っていて、 だからなのか、いくら観て聴いてもずっと嬉しい。飽きるとか飽きないとかいう次元から外れた存在。 携わる皆さんの無理のないペースで、これからも活動が継続されていくといいなあ、 とか思うのって本当に無責任にできてしまうことなので申し訳なさも感じはするのですが、でも確かに願っています。 来年もきっとまた! #笹川真生 #colormal

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長谷川白紙さん、同期音源の入らない弾き語りにこそ凄みが宿っていた……。

部屋にエアににポスターを貼る行為、部屋にに(じろんぬさん命名)


割とどうということのない出来事ですが(そもそもこの紅茶屋さん知ったきっかけすらどこからか流れてきたツイートでしたし)。
Waterfall、レモンが散りばめられていて多分夏飲んでも美味しいだろうなと、デカフェだから今あたたかくして美味しくいただきながら思いを馳せています。


これで今年の音楽体験を適当に網羅できた、と思いたいところなのですが実は後1本、下北沢440の年越しイベントに行くのでまだ締まった気分にはなれないのです、
とはいえ締めと初めが同時に来てしまううえ、今回の演者の殆どは今年回収しきれなかった範囲の方々で占められているため、なんかもうめちゃくちゃになって帰ってくることが容易に想像されるのですが……。
ひとまずのところ、良いお年を。