1/20 - 1/26の読書感想文 特集: 上田岳弘

People In The Boxの曲名を冠した、上田岳弘の小説「ニムロッド」が第160回芥川龍之介賞を受賞した。

引用元: People In The Boxの曲名冠した上田岳弘の小説「ニムロッド」が芥川賞受賞 - 音楽ナタリー

はじまりは上記の記事により、つまりはミーハー心からの行動ではあったのですが、

紀伊國屋新宿本店にてデビュー作であるらしい「太陽・惑星」を手に取ってからというもの溺れるように読み進めてしまい、

1週間ほどでこの作家、上田岳弘氏の全ての著作を読み切ってしまいました。

こんな勢いでの読破なんてそうそうあることではないため、今回は特集となります。

BGMにはおそらく向かないかもしれませんが、音楽もぜひどうぞ。


People In The Box「ニムロッド」


おしながき

すべて上田岳弘作。刊行順。

太陽・惑星

私の恋人

異郷の友人

塔と重力

ニムロッド


上田岳弘

上記のニュースを目にするまで存じ上げなかった作家さんなので、Wikipediaに書いてあること以上には来歴についての情報を持たない私です、

下手に頑張って書くよりそのリンクを掲載したほうが失礼がないような気がする。

ja.wikipedia.org

一見突拍子も無くみえる世界観を提示しておきながら、丁寧に研がれた文章と構築によって説得力のある物語に仕上げることを得意とする作家さんです。

頻出するモチーフは、個人を保つ壁であるところの身体が撤廃され、すべての価値観や体験が、溶融したままに共有される、平坦な生。

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人類は、身体よりも速く駆け、永く留まることができるという性質をもった言語を獲得したことにより、

それまで個のなかのものでしかなかった認識を繋げることができた。

その成功を皮切りに、純然たる志向性なのか無自覚な強迫性なのか省みる間もない勢いでもって実体のはたらきを拡張しつづけた人類は、ひとまずのところ今に辿り着いている。

アップデートのその度に見直されきれないままの、いびつな価値観をもって、流されるように突き進み続ける人類は、

いずれはそのいびつを均すために、始原の成功体験を舐めるようにして、より合理的な共有を目指すようにかわっていくのかもしれない。

しかし、そんな邁進を続けた先の人類は、その継続を担保されるべき存在であり続けることが、

果たして本当に許されるような代物なのだろうか?

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上田氏の小説は、氏自身がもついくつかの強い観念に対して、アプローチを少しずつ替えながら試行を重ね、向き合うためにあるものである、ひととおりの作品を読み切ってみてそのような印象を抱いたのですが、

私に響いた、もしくは氏の観念の何かしらが響いた結果私の中に芽吹いた観念は上記のようなものでした。

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なぜこのようなことをど頭に書いたのかというと、

以降に書き連ねる各作品の読書感想文が、あまりにこの思い込みに満ちたものであったため……。

そのあたりを念頭に置いたうえで適当に読み飛ばしてください。


太陽・惑星

2014年に刊行されたデビュー作。「太陽」と「惑星」の2編の中編を収録。

太陽

なぜ俺はこんなにも自分というものにこだわってしまうのだろう。

彼らは自分と他人とを同じだけ重視し、あるいは軽視し、そうすることに心から納得しているというのに、俺はいつまでもその境地に達することができない。

寿命に縛られる時代は終わり、人類の夜はとうに明けているというのに、俺だけがいつまでも目を覚ますことができずにいるようだ。

(P. 72)

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寿命性別国籍その他諸々、生きる上で生じうる全てのアンバランスが排除された、みんなが均一で標準で平等な世界、それを生きるようになった『第二形態の人類』。

そんな第二形態の人類としてはわずかに異なった認識を保有してしまった田山ミシェルは、太陽を使った錬金術を着想し、

すべての人類からの全面的な賛同のなか、本当はいつから終わってしまっていたのかわからない世界を、終末へと導く。

そんな物語。何を言っているのかわからないと思うが私だってわかんねえよ

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物語の大枠は前項に示したような感じなのですが、文量の多くは、作中で第一形態と称される現状の私達人類のうちの田山ミシェルの血筋に由来する人々が、

作中で起こるある事件に対しそれぞれの経験からなる惑いかたで立ち回る、その様に当てられています。

何に焦燥を、何に諦観を持とうとも、それらは第二形態の人類からしてみれば、とうの昔に想定済みの経験のパターンとして認識されてしまうような、取るに足らない価値判断のひとつひとつ。

その極端な対比があるからこそ、第一形態の登場人物、ひいては今の私達の生き様を、かけがえないものとして思いながら読み進めることができるのでしょうが。

(厳密には、第一形態の人類として描かれる彼等も、まるっきり読者と同じ世界を生きているものではないようなのですが、通底する価値観は読者に近いものとして描かれているのでとりあえず上記のように記しました。ああややこしい)

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一番最初に読んだのはこちらの作品だったのですが、他の作品を通ってから読み返してみると、

以後の作品で頻繁に持ち出されている、具体的な事象についての描写がほとんどないことが特徴的であるように思われました。

その点と、あとデビュー作ということもあるためか、作家の試みるアプローチがとてものびのびとしているように感じられるため、

読書にエンタメ性を求める方にはこちらが一番おすすめです。

惑星

この惑星の環境下で、もっとも調和がとれ、つまり過剰も不足もなく、最大限の生のポテンシャルを引き出して維持する。

我々の習性や歴史に鑑みると恐らくそれこそが人類の使命ということになる。

そう、最高製品を使って、我々は、惑星そのものになれるんですよ

(P. 205)

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今作の主人公は、作中世界における『最終結論』そのもの。

何を言っているのかわからないと思うがここをほどいてしまうと物語が失われるんだ勘弁してくれ

カルフォルニアのIT企業が造り出す『最高製品』、現実の身体から意識の接続先をそれに移し繁栄のためのリソースを共有した存在となることによって、平等な人類をコスパよく実現するその製品にすべての人類が呑まれ『肉の海』となることを阻止すべく、

主人公のひとまずの実体である精神科医の内上用蔵は、最高製品を推進するために暗躍する『最強人間』ことフレデリック・カーソンに向けてメールを送り続ける。

世界の結論が吐き出される前、キーマン達が東京オリンピックの会場で邂逅する2020年、のさらに6年も前から。

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このカオスな作品世界を読み解くために作中で示されるヒントとして、オリンピック方式という漁業用語が出てきます。

漁獲可能量を個々の漁業者等に割り当てることなく自由競争の中で漁業者の漁獲を認め、漁獲量の合計が上限に達した時点で操業を停止させることによって漁獲可能量の管理を行うもの

引用元: http://www.jfa.maff.go.jp/j/suisin/s_yuusiki/pdf/siryo_12.pdf

黒幕フレデリック・カーソンは、現状の行く末はこのオリンピック形式のように、環境のポテンシャルを上回る勢いで競争を重ね続けることによる行き詰まりであると考え、

その打開策として最高製品を推進します。

一理あるように思えてしまうのですが、これは高次の存在が低次の存在の全てを左右してもよい、っていう考え方によるものなので、

直接管理するのは機械とはいえ、人間であるフレデリック・カーソンの思想によってそんな運命に促されていくのはおかしいんじゃないか、

性急に結論へと向かうことの抵抗を投げかけられているように感じました。

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この作品の設定は突拍子もなくまた広大ではありますが、ちいさな日常の中でもままありますよね、

危機感の投げかけの体を取ったふうでその実、意識格差の上の者が優位に立っていたいばかりに喧伝されすぎている主張って。AIに仕事を取られる!的なやつとか

太陽・惑星

太陽・惑星


私の恋人

2015年刊行。現状、唯一の文庫化作品。

生まれついた枠組みで囲って、そこから出られないように君たちを飼っている。

こんな風に苦しんだ人がいるから、虐げられた人がいるから、それに加担してきたから、よりよきことを目指さなければならない気がする。

その気持ちはわかる。そしてそれは一時的には正しい。

でもね、物事はいつか反転するんだ

正しかったことは誤りとなり、目指していたものから逃げなければならなくなる。

あらゆる思いが君たちを振り回し、闘うべき対象は何であるか、もはや誰にもわからない。

だがそれでも、抗うべきときには抗わなければならない

(単行本版 P.121 下線部は原文における強調部)

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今作の主人公井上由祐は、井上自身の記憶の他に、2人分の前世の記憶を持つ。

最初の記憶は10万年前、並外れた頭脳と先見性をもち、しかしそれが弾き出す予見が同世代の理解を得ることがなかったために、洞窟の壁にあらゆる想定を書き連ねるばかりであった、ひとりのクロマニヨン人であったときのもの。

2人目の記憶は、1940年代に強制収容所の独居房で餓死させられた、むごい運命のそのなかで前世の見越していた世界を追体験していることに夢中でありつづけていた、ドイツ系ユダヤ人のハインリヒ・ケプラーであったときのもの。

彼らはずっと、降りかかる試練を健気に超えてみせる、ひとりの女性像を、いつか自身の前に現れる恋人であると信じて生きていた。

そしてついに、井上由祐の人生において、その恋人が具象化する。

人類が『三周目の旅』に走り出てまだ間もない、いまの世界に。

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今が人類の三周目の旅である、というなにやら訳のわからない主張は、今作の恋人ことキャロライン・ホプキンスとともに世界を巡った故人、高橋陽平という人物の持論です。

一周目は人類が発祥してから地球の隅々に拡大していき、行き渡った先で落ち着いて繁殖をするようになるまで。

二周目はそれぞれの地で発達を遂げた共同体のルールのうち、どのルールが最も効率よく世界を運用できるものであるのか争い、第二次世界大戦において連合国側が勝利を納めるまで。

では三周目はというと、Windows95の発売を起点として加速度的に普及と発展を遂げた情報技術が、ただの技術の枠組を超え、あらゆる決定権を人間から奪うまで。

占有欲を燃料として進める歩みの方向は、土地から人々の内的世界へとグラデーションの様な度合いで移り変わっていく……。

余命僅かの高橋陽平は、若干飛躍をしすぎた節のあるその持論をキャサリン・ホプキンスに遺し尽くしていきます、ずるいですね、いや本人としては大真面目なんですけどね……。

そのそれぞれの『旅』の渦中に生まれていながら、これまで発揮されなかったその使命を、井上由祐は柔らかく添わせるように、

いままで以上に曖昧で予測の付けられない脅威に惑う人類に投げかけます。

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今作も、主題としては前作とそんなに変わらないのかなって気はしますが、

その展開をより伝わりやすくするやりかたに切り替えていくことにしたんだなって感じられて面白かったです、

ラブストーリーというフレームワークはわかりやすさに特化している。

また、今作を境に極端な思想の展開が悪意の絡んだものではなくなってくるために、よりリアルな問いかけであるように感じられます。

人類がこの恋人キャサリン・ホプキンスのように、転換点に立つその度に「そうかしら?」と、

取り巻くその潮流をただ見つめながら自身に問いかけること、それは恐らくこれからますます必要となる行動となるのでしょう。

私の恋人 (新潮文庫)

私の恋人 (新潮文庫)


異郷の友人

2016年刊行。

「ところで、何で泣くんだ?」

だって、俺はお前らが好きなんだよ。

(P.148)

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今作の主人公は、ひとりの神。

前作の私の恋人の主人公井上由祐は3代分の前世の記憶を持っている設定であったが、

今作の主人公山上甲哉は、全ての前世の記憶を保持している。

その上、この山上甲哉の人生になってからというもの、自分以外にも、時を同じくして生きるふたりの人間の意識までもを覗くことができるようになってしまった。

ひとりは、外国人向けの奨学金を獲得し、育ったオーストラリアを離れスタンフォード大学に通えたほどに優秀な頭脳、特にハッキング技術を持ちながらにして、

生来の卑屈さから意識高い系の学生や若くして繁栄した著名人と自分とを比較してしまう癖が祟り、行き着いた先は非合法組織の雇われハッカー、通称J。

もうひとりは、阪神淡路大震災を予言したことにより淡路島内に限り、しかし熱心なばかりの信者達を抱え持つこととなった、古事記日本書紀をアレンジした国生みの物語を語り続ける新興宗教の教祖、通称S。

なにやらいつも以上に妙な人生となってしまったものの、JのメールボックスにJの読めない日本語でメールを送ってみたり、Sの営む緩い宗教を覗いては頭を捻ったり、2ちゃんねるに現状についての質問スレを立てたり(なお総スカン)と、

この神は、山上甲哉としての人生を穏やかにチャーミングに楽しむことに決めていた。

冬の札幌で、自分の記憶には存在していない紳士から、親密さもあらわに声をかけられるまでは。

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いやむちゃくちゃですよね。好きです!!!

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喜劇の体で進行していく物語ですが、前作までにも散見されていた平等でコスパのいい世界の是非について、それでも自分の頭で考えていくことを慈しみながら、問いかけてくるその姿勢は今作でも健在です。

また、小説が終わったそのあとにも私達の生活は続いていて、それを考えていかなければならない、

その危機感は、今作の読後が最も強かったように記憶しています。

以降の作品では、この落差についても、より丁寧に執拗に明確に描かれるようになっていきます。

小説などを介して腰を落ち着けた、少し違った座席から見つめることで、

私達にとっての私達の現実は、あまりにも無常なままにしか映らないことに気がつく。

出来事から幾年の月日が経過したその後の今になっても、なにものの介入も期待できないままに、

今ならではの姿を呈してただただ広がっている。

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ちなみに、モンスターエンジンの多分一番有名なショートコントが作中に度々出現するのですが、

あのネタからこのぶっ飛んだ登場人物たちが書き起こされたのではないか、そんな気すらしてくる……。

異郷の友人

異郷の友人


塔と重力

2017年刊行。

どうせもう直に死ぬのなら、その死がやってくるまでに、考え尽くそうと思った。

死に向けて体が朽ち果てようとしていても、考えることはできる。考えて、考え尽くしてやる。

未来に起こる出来事も、今から起こり得る目を背けたくなる残虐なことも、この俺が今ここで、全部終わらせてやる。

検討を加える余地など、髪の毛一本残さない。

百年先のことだろうが、十万年先のことだろうが、全部俺がこの場所で、一歩も動かず吸ってやる

(P.138 下線部は原文における強調部)

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主人公田辺は、阪神大震災で倒壊したホテルの下敷きになり、当時憧れの女の子だった美希子を亡くしたこと、

また、時々自分の感情とは結びつかない涙が溢れること、それ以外には普通の人生、時々適当に女性と遊ぶこともあるような、そんな普通の人生を送っている。

ある日、田辺は震災前後の時期に交友のあった友人へ何の気なしにFacebookの友達申請を出し、それをきっかけとして大学時代の友人、水上と再会する。

水上は、毎回別々の女性に『美希子』と名付けアサインし続ける飲みの席を設けたり、

田辺をモチーフとした連作の小説をFacebookに投稿し始めたりと、

田辺の意識を、どこかに引き寄せようとするかのように行動ばかりをとる。

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浅薄に吹き上がる神ポジションをもって世界に対する所見をかざす、その虚しい高さをどこかでわかっていて、でもそれ以上のことはわからないままでいる田辺は涙が流れ落ちるその一点で素直が顕在化しているのであるがおそらくそのことはわかっていない。

そしてそれと並列して描かれるのは、窓と近しい素材で作られた画面を覗き込んだその先にあるFacebookで流れ流れゆく世界の出来事、喜ばしいことも痛ましいことも混ざったままに、

それをみているときのわかっているようで、何もわかっていない私達の意識。

それすらも小説内で田辺が、セフレの葵のアカウントを介してそうする様を見ることによって読者は自覚するし、

それで少し抉れた気分にはなるものの結局腑に落ちきる前にまた別の関心に流れてしまうことも読者にはわかってしまう、あまり悲しくならないように努めてしまう。

それでも小説はここにある、世界もそれと同じようにある。

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かなり視野を散らして、抽象的な概念をも多分に孕んで進行する話ですが、

崩壊したビルの中に埋まる田辺を、田辺の意識が覗き込むという構図を話の早い段階で提示することで、そのそれぞれの視点をひとつのイメージに結ぶことを助けている、

そんな構造の良質さもよくよく堪能できる小説でした。

塔と重力

塔と重力


ニムロッド

2019年刊行。今回の芥川賞受賞作。

ところで今の僕たちは駄目な人間なんだろうか?いつか駄目じゃなくなるんだろうか?

人間全体として駄目じゃなくなったとしたら、それまでの人間たちが駄目だったということになるんだろうか?

でも駄目じゃない、完全な人間ってなんだろう?

(P.33)

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ビットコイン創始者と同姓同名の主人公中本哲史は、何の因果か、社内の遊休資材となっていたサーバで仮想通貨を採掘する課の課長として抜擢される。

胎児の染色体異常が事前に判明したことにより、かつての夫との子供を堕ろした経験のある恋人、田久保紀子と、

3度目となる候補からの新人賞落選を端に、自らの小説を公へ広める道を諦めた元同僚、ニムロッドこと荷室仁との交流のなか、

人から存在を願われることで存在価値を担保されている仮想通貨についての考察を深めていくうち、

人間のありようも本質的にはこれと同義なのではないかと、思いを巡らせるようになる。

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なんかやっとあらすじというものを書いたような気がする。

提示されるモチーフのそれぞれは、ここまで書かれ続けてきたそれらの姿を継承したものであり、

もはやそれを際立たせるための過剰さを必要としないところまで辿り着いている、多分そのことにより。

(単に短期間で一気に読みきってしまったがために、私自身が少しの特異では驚かなくなっただけなのかもしれない)

多分、これまでの断片に何らかの魅力を感じてこの記事をここまで読み進めてきたような方でしたら、

今作を最初に読むか、今作を最後に読むかすると、この作家さんの考え方のパターンを自身の中に定義付けられて、他の作品も大いに楽しめていくようになるのではないかと思います。

あるものの特色を、別のあるものを読み解く鍵として試行する手法、登場人物の抱える要素の配置、

そしてそれらを俯瞰の距離感を適切に調整しながら物語の流れに廻していく、構成の節度が冴え渡っている作品で、

3度目となる候補からのようやくの受賞となった芥川賞、もしかしてこの強度の作品が放たれることが待たれていたのではないか?とすら考えてしまった……。

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ことが起こる前に判断をする、合理性を突き詰めることへの懐疑が、今作において(も)繰り返し問われるテーマであるように思います。

例えば今作ならニムロッドが中本哲史にシリーズものとして送り続ける駄目な飛行機コレクションへの所見のメールといった、小説の節々から推察できるように、

人類が連綿と重ねつづける営みの中でいまだに整理しきれず棄てきれず、なんならそうすることへの抵抗心すら感じさせるほどにそうしきらないでいる、

合理的でないこととそこへの意識的/無意識的な執着の数々、それらへの愛おしさが滲む表現が散りばめられています。

そんな上田岳弘氏の視野へと、私は共感も敬服も綯い交ぜになったままの状態で、突き進んでいけたことが情けないようで嬉しいようで。

ここまで一気に読んできてよかったなあと感じた小説でした。

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読む前に読むか、読んだ後に読むか、そのへんは人によるだろうけど、読むと楽しいWikipedia

ニムロッド - Wikipedia

第160回芥川賞受賞 ニムロッド

第160回芥川賞受賞 ニムロッド


あとがき

どうにか来週のサイン会前に書き上げることができた。よかった。

炙り出すけど糾弾はしない、提示をするけど自らの主張を押し付けるためではない、適切な距離感。

考えるべきであるという考えを読者自身の意志として惹起させる、そういった小説の良い性質が、その距離感によってもたらされていて、

とんでもない話ばかりだったのにも関わらず、総じて心地のよい読書でした。

いつも以上に個人の感想が排除されない記事となってしまったのでいかがもクソもないですが、

まあ楽しい読書ができたんだねよかったねくらいで流していただければ……、

流れきれずどこかで引っ掛かりを覚えた方は、是非とも著作を読んでいただければ……幸いです。


1月分の読書感想文書いてる間に2月終わりそうです、もう1月終えてしまおうかな、でもいい本たくさんあったしな、って贅沢な逡巡をしています。

となんとなく書いて思ったけど、このことを贅沢と感じられている時点で私はこの作家さんの世界観との親和性がそもそも高かったのかもしれない。

まあ自分の性質の肯定になるならばそれらのなにひとつも無駄とは言えないのかもしれないけれど。